Blog岳道を行く

父、出征す

 

 

 

 

 

 

写真は昭和20年、父が二十歳になる前のある日である。3/17の神戸大空襲の前かもしれない。

厳しい表情の両親(私の祖父母)に挟まれ、当時は出征は誉としながらも、とても晴れた表情とはいえない父。それでも国を守る決意で、神戸から汽車に乗り鹿児島に移動したに違いない。特攻隊訓練のためボートで鹿児島湾を渡ったと聞いてきた。前列右端は恩師であろうか・・・教え子を戦地へ送り出すことに複雑な思いと使命感に包まれた佇まいを感じる。

国家の為とは、誉とは。繰り返されるウクライナやガザでの戦闘に重ね、今も昔も若者の心に非情な決意を課していることに胸塞がれる。

石油の確保などで無謀な戦争を仕掛けた日本、神の国が負けるはずはないと信じ異常なまでの戦線拡大。近隣諸国を蝕み、国民へも大きな犠牲を強いた。現在は平和としても、この犠牲に報いる国家になれているのだろうか。近隣諸国含め命を奪った罪を国家としてきちんと償えているのだろうか。決して金銭だけで贖える問題ではないだろう。太平洋を挟んだどこかの国への(協調という名の)言いなり、「国境線はむしり取って変えるもの」的な、東シナ海を経た大国へも堂々と発言できない今の我々日本。昨今の政治腐敗の闘争劇、犠牲となった御霊に顔向けできるだろうか。経済もじり貧となり、国際社会に平和理念への姿勢を見せれていないことに、我々ひとりひとりが向き合うべきだろう。

「ならばお前は何ができる」

出征前の父に語りかけられているような気がする。非武装だけでは成り立たず、さりとて武力に威をふりかざす国には腹立たしい。平和理念を研ぎすますことは容易ではないが、せめて国際社会に堂々と発言する胆力を持ちたい。

学生に「教科書に書いていることに好奇心のみならず本当に正しいのか疑問を持て」と諭し、このことが将来の胆力へつながることを期待している。亡き父へいい報告ができればいいが。。。

 

 


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