社会システム研究

スイスと日本

はじめに

アルプスの少女「ハイジ」、マッターホルンなど名峰、スイスチョコ、時計など精密機械、、、日本人が抱くスイスへのイメージのほとんどがこれらと思われる。最近、多根幹雄著「スイス人が教えてくれた「がらくた」ではなく「ヴィンテージ」になれる生き方」から、学び活かすべき題材の多さに気が付かされた。ここに自身が経験してきた時代の日本との比較含め分析を進めたい。

スイスと日本、を考えるにあたり起点にしたいのは、行政や人々のマインドの結果として表れる「幸福度」や「一人当たりのGDP」である。「幸福度」は後方にゆずり、まずは「一人当たりのGDP」であるが、「世界経済のネタ帳」によれば、2021年度、1位ルクセンブルク(13.7万USドル/人) 2位アイルランド(10万USドル/人) 3位スイス(9.2万USドル/人) で日本は27位3.9万USドル/人となっている。

なぜこのような状況になっているのだろうか・・・多くの要因があると思われ、ひとことで「これ」とここで書くのは早計であるが、高度成長期からバブル崩壊、アベノミクスの10年を俯瞰して感じる仮説は以下である。

①戦争で多くの犠牲が出ながらも我々の親の世代は奮起し、しゃにむに働いた。アメリカのサポートもあり高度成長期を迎え「長時間働くことが美徳」が幸か不幸か体にしみついた。結果、世界一の品質を実現するも、労働生産性を上げることにはやや鈍感になった。

②高度成長期後半、コスト構造も起因し「アジアの発展にも貢献」を名目に、どんどん産業の海外シフトが進んだ。そのうちに「3K仕事は自分たちの仕事ではない」的な、いわば主僕のようなマインドになってしまった。結果、3次産業を支えてくれる1次2次産業が衰退した。

③バブル崩壊もあいまって、産業構造のアンバランスが生み出した雇用構造のアンバランスにより日本は再生能力が劣化した。労働生産性を上げるすべも十分ではなかった。その後リーマンショックのダメージも重なっていった。女性の雇用環境や子育て環境も十分でないうえに、都市一極集中が進み、適切な雇用機会を国民に提示できていない(全員が3次産業に向いているとは限らない)。少子高齢化の影響も社会保障費高騰などでさらに深刻になった。

④アベノミクス時代の日銀の金融緩和は産業界にとって好機であったにもかかわらず、技術イノベーションがないなど言い訳が先に立ち、野球でいう残塁の山を築いた。イノベーションを生み出すしくみの確立や海外での新規事業探索に奮闘はしたが、地道な製造業という安打よりも、イノベーションというホームラン期待が大きすぎではないのか。イノベーションだけが一人当たりGDP増の切り札ではない。今も産業界には「イノベーション期待」の風潮が強く、たとえば、6次産業含め農業振興を行い地道に作物を育て食糧をまかなう、というスピリットは少ない。

⑤反省すべきは、産や官のガラパコス化した経営マインドもあるものの、我々国民が、語弊を恐れずに言うならば、儲からない仕事はせず海外に出すという「アヘン」に侵されているのではないか。

これらの仮説をもとに検証を進めていくが、多根氏の著書にもあるが、福沢諭吉のこの言葉をここに引用しておきたい。

「一身独立して一国独立する」

web歴史街道より)学問の目的は、まず第一に「一身の独立」にある。独立できていない人間は他人から侮られ軽んぜられるが、国家も同じである。国民が甘え・卑屈・依存心から脱却し、日本は自分たち自身の国であるという気概を持たない限り、日本は独立した近代国家として諸外国から認められることはない。

明治維新から第2次世界大戦前までの状況と戦後とでは、この福沢諭吉の言葉に関連した気づきがある。それは、あの悲惨な戦争を起こしたというトラウマも現在の日本状況に少なからぬ影響があるということである。戦後日本は、勤勉なマインドで再建を果たした。しかしながら、どこか、自分たちで主体的につくった社会ではない、という、平和でありがたいが何かが欠けている、というものを感じている。加えて「社会はお上がつくるもの」の風潮も感じる。その「何か」をスイスを研究することで明らかにしていきたい。スイスとは環境条件も異なるが社会システムを熟成してきた歴史も参考にしていきたい。

国境のある国 vs 海に守られた国

「アルプスの少女ハイジ」のおじいさんは若いころは傭兵だった・・・

多根氏の本でも紹介され、さっそく「アニメで読む世界史」藤川 隆男 (編)を購入し読んでみることにした。スイスと言えば永世中立国であることから、傭兵などは想像できないことであったが、農業以外の産業で生計を立てる機会も少なく、傭兵として国外へ出て出稼ぎをしていたそうである。今日では、ひとりあたりのGDPでも屈指の実力であるが、この歴史や国境がありながらの永世中立国としての覚悟は、日本人も大いに参考にしなければならないと思う。

自分の国は自分で守る覚悟は、論点として外交や防衛にも及ぶので、このことは別稿に譲るが、この覚悟がスイスの社会システムを形成していることは間違いない。そういえば、ハイジのおじいさんは柔和な顔つきのときもあるが、がんこで厳しい目つきをみせることも多かったと記憶している。厳しい時代を経て平和で牧歌的な情景をどんな目でみていたのだろう、そんなメッセージを感じることなくこのアニメをみていたものだ。ハイジのおじいさんオンジの目の奥にあるものは「覚悟」で築き上げた平和・・・そのために犠牲になった人たちであろうか・・・

海に守られた国日本も、戦争で多くの犠牲を出した。戦後に育った人間がその悲しみを言う資格はない。しかしながら、その歴史を振り返り高度成長期から現在までの経験を未来に活かす責任はある。司馬遼太郎が記した、日露戦争から太平洋戦争まで突き進んだ日本の自信とその後の過信は、生活の糧として傭兵に出た時代を経験したスイスとは根本的にマインドが異なると感じる。当時の日本は、海に守られた元寇とは違い、海を盾にして過信を矛にしたのである。

戦後は復興したが、過信の矛の発露からきわめて短い時間で受動的な国へ変貌を遂げた。この時間の短さもスイスのような「覚悟」を生み出せなかった要因かもしれない。以降スイス人の覚悟とはどういうところに出てくるのか分析をしていきたい。

 


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