社会システム研究

地方分権と産業振興に思う

地方分権議論雑感

日本の少子高齢化問題の課題解決議論は多岐にわたる。この中で単細胞な問題提起をすれば、やはり人口集中問題こそ第1に考えるべきと思える。長らくドイツなどはなぜ人口が適度に散らばっているのか考えてきた。そして、なんとか日本も都市一局集中から地方への人口分散がなしえないものかと。道州制議論など地方への権限移行検討など、文化庁移転施策含め概観していくと、財政問題にも触れる多くの議論がある。しかしながら、ふと、群れたものを引きはがす、は歴史的文化的というか日本人の本質からくる障壁もあることに気付かされる。

日本は、村社会文化というややネガティブなイメージもあるものの、ほぼ単民族でいい意味で一体感のある国家だ。メリット追求の議論もあるものの、道州制などで各所で違う政策が打ち出されていくと不安も不信も出て、悪い方向に行きはしないかという懸念もある。つまり「今で何が悪い」的な保守的志向があるのだろう。さらには、道州制が導入して何を解決するのか、によっては国の考え方に相容れないとか、決めれない政治が横行することも考えられる。スイス連邦、ドイツ連邦共和国に関連する書籍を読むうちに気づくのは、彼らは、連邦政府という外交的メリットを追求するも、もともとは多様な民族・宗教の小国が手を組んで成り立っている。つまり、結束志向の分権重視だ。日本は、アプローチが逆になってしまう。

宗教など歴史的な背景が異なる国をそのまま真似てもうまくいくはずはない。このことを踏まえて今後は考察を進めていこうと思う。

産業振興雑感

日本の高度成長期は、戦後の日本人の努力の賜物である一方、アメリカのおかげで成長してきたことを忘れてはいけない。感謝の気持ちもあるが、決してこれだけで締めくくる命題でもない。日本の高度成長は、地政学的背景も含めアメリカのシナリオライティングにより制御されてきた面もあるのである。日米半導体通商協定もその一例だ。この間、国民も政治家も努力はしてきたが、自らの発想で描かず「同調力」で描いてきた面がある。結果、国家としての成長戦略投資を考える自主性が、我々国民ひとりひとりに不足している。このことが考えるべき真の命題である。

一例は、コロナ禍から立ち直りつつある今の状況にもある。人々に笑顔が戻り、飲食店なども人手不足に泣きながらもコロナで苦しんだことを思えばなんてことはないと、頑張っている。これらの状況を批判するつもりは毛頭ない。しかしながら、インバウンドなど観光産業で〇〇兆円規模へ、などの論調により、日本の真の病の治癒がさらに遅れるのではないかと懸念する。観光産業で儲かるのも、若い人たちの知恵で新たな飲食店が立ちあがっていくのもうれしい限りである。問題は、観光産業は他力本願によることが大きいことだ。コロナでそのことは証明された。この状況下で我々は持続可能な成長戦略を国民の覚悟として考える時期に来ている。

観光産業で経済成長率が期待できない場合、いざ、農業含め他産業へといっても収入の問題やスキルの偏りの問題で簡単にシフトはできない。自分の歴史もそうであったが、我々日本人は都会に集中した金太郎飴集団が多数派なのだ。日本の教育システムにおいても、語弊を恐れずに言うならば、学生は目標意識も希薄で「とりあえず大学」の人数比が多いようにも思える。もちろんそこから自分の道をみつけていく立派な若者も多数いるが、重くのしかかる奨学金返済は社会のひずみと考えていいだろう。大学出て都会に行って仕事しないといい生活できない、そんな社会になってしまっている。これでは産業バランスも悪く、食糧や生活インフラの観点でレジリエンス(耐久力、回復力)が弱い社会にどんどんなっていくだろう。若いうちから将来の目標を見据えていく教育システムにはなっていないようだ。スキルを磨く志向の強い若者が、きちんと評価されるように社会の意識を変革していくことも重要である。

日本の真の課題は、他力本願できなかった場合にどう「食っていけるのか」を考えることからあぶりだしていかないといけない。国債発行で乗り切る、外国からの借金があるわけではないから大丈夫、などなど平和ボケもいいとこではないか。金融緩和の10年間に関しても、日銀批判に終始して、低金利にもかかわらず企業が新たな成長エンジンを生み出していけなかったことにはあまり目を向けられていない。どんな市場規模になるのかさだかではないのに「イノベーションが大事」の御念仏だけが横行している。これも日本の病の本質であり、要は「あとはよろしく」的な精神論なのである。新たなイノベーションどころかEVなどは中国・アメリカにリードされ、e-fuelで内燃機関進化も重要と提唱するトヨタの戦略観は国から積極的に肯定されない。国は水素戦略というが、保管も難しい水素でネットワークなど荒唐無稽の極みだ。水素含め低炭素で発電し電気でネットワークするほうが格段にスジがいい。

東北地震で発生した多大なロスと原発への歴史的な投資戦略を十分総括せず、電気料金対策=原発回帰のみに目が行く。原発に投資した電力会社の投資回転や経済界からの電力料金引き下げ要望などを無視することも妥当ではない。原発けしからん再生エネルギーだ、も能がない。太陽光発電による分散化の難しさもさることながら、太陽光パネルなど製品が輸入に頼っており雇用促進には寄与していないことまで考える必要もある。日本人は知らないうちに「再エネ賦課金」で海外から太陽光パネルを購入「させられている」のである。あまりにも議論がなさすぎである。また単純に、海外には価格では勝てない、マインドが蔓延してしまっている。「コストでは勝てない」マインドは仕事やる気がないに等しい。中国などは生産性向上に重厚長大な投資をしている。こういった議論もつくされず「海外に比べ賃金の伸びが低い、あげてくれ」と国が号令する。ありがたい話かもしれないが、どこかヘンである。

食糧セキュリティ対策の重要性指数化(地政学観点含め)、再生エネルギーはサプライチェーンでの国産化比率と雇用創出率ならびにパネルリサイクル費用勘案、原発は安全係数の根拠の透明化と使用済み核燃料処理費用含めた電気代設定、などなど「国としてどうする」をもっともっと透明化して高校や大学の授業でも取り上げていく必要があるのではないか。このままでは国会議員のみならず我々おとなは無責任である。


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