社会システム研究

Agri-Solar Global Team

This thread is built up to summarize Japan and global movement of Agrivoltaics (Agri Solar) and to appeal AnT Labs idea to overseas.  The information on new concept of AgriSolar system which has been investigated by AnT Labs will be introduced thru episodes as below.

Episode-1: Situation of Japan

1-1 Installation status

1-2 Dialog for advantages and problems 

1-3 Policy trends

Episode-2: Situation of overseas

2-1 Installation status

2-2 Dialog for advantages and problems 

2-3 Policy trends

Episode-3: AnT Labs ideas

3-1 Sun light control to suppress crop yiels damage with mitigation of farmers stress

3-2 LED supplementary lighting to maintain crop growth and to control crop quality

3-3 Future farming using Perovskite PV and LED

 


スイスと日本

はじめに

アルプスの少女「ハイジ」、マッターホルンなど名峰、スイスチョコ、時計など精密機械、、、日本人が抱くスイスへのイメージのほとんどがこれらと思われる。最近、多根幹雄著「スイス人が教えてくれた「がらくた」ではなく「ヴィンテージ」になれる生き方」から、学び活かすべき題材の多さに気が付かされた。ここに自身が経験してきた時代の日本との比較含め分析を進めたい。

スイスと日本、を考えるにあたり起点にしたいのは、行政や人々のマインドの結果として表れる「幸福度」や「一人当たりのGDP」である。「幸福度」は後方にゆずり、まずは「一人当たりのGDP」であるが、「世界経済のネタ帳」によれば、2021年度、1位ルクセンブルク(13.7万USドル/人) 2位アイルランド(10万USドル/人) 3位スイス(9.2万USドル/人) で日本は27位3.9万USドル/人となっている。

なぜこのような状況になっているのだろうか・・・多くの要因があると思われ、ひとことで「これ」とここで書くのは早計であるが、高度成長期からバブル崩壊、アベノミクスの10年を俯瞰して感じる仮説は以下である。

①戦争で多くの犠牲が出ながらも我々の親の世代は奮起し、しゃにむに働いた。アメリカのサポートもあり高度成長期を迎え「長時間働くことが美徳」が幸か不幸か体にしみついた。結果、世界一の品質を実現するも、労働生産性を上げることにはやや鈍感になった。

②高度成長期後半、コスト構造も起因し「アジアの発展にも貢献」を名目に、どんどん産業の海外シフトが進んだ。そのうちに「3K仕事は自分たちの仕事ではない」的な、いわば主僕のようなマインドになってしまった。結果、3次産業を支えてくれる1次2次産業が衰退した。

③バブル崩壊もあいまって、産業構造のアンバランスが生み出した雇用構造のアンバランスにより日本は再生能力が劣化した。労働生産性を上げるすべも十分ではなかった。その後リーマンショックのダメージも重なっていった。女性の雇用環境や子育て環境も十分でないうえに、都市一極集中が進み、適切な雇用機会を国民に提示できていない(全員が3次産業に向いているとは限らない)。少子高齢化の影響も社会保障費高騰などでさらに深刻になった。

④アベノミクス時代の日銀の金融緩和は産業界にとって好機であったにもかかわらず、技術イノベーションがないなど言い訳が先に立ち、野球でいう残塁の山を築いた。イノベーションを生み出すしくみの確立や海外での新規事業探索に奮闘はしたが、地道な製造業という安打よりも、イノベーションというホームラン期待が大きすぎではないのか。イノベーションだけが一人当たりGDP増の切り札ではない。今も産業界には「イノベーション期待」の風潮が強く、たとえば、6次産業含め農業振興を行い地道に作物を育て食糧をまかなう、というスピリットは少ない。

⑤反省すべきは、産や官のガラパコス化した経営マインドもあるものの、我々国民が、語弊を恐れずに言うならば、儲からない仕事はせず海外に出すという「アヘン」に侵されているのではないか。

これらの仮説をもとに検証を進めていくが、多根氏の著書にもあるが、福沢諭吉のこの言葉をここに引用しておきたい。

「一身独立して一国独立する」

web歴史街道より)学問の目的は、まず第一に「一身の独立」にある。独立できていない人間は他人から侮られ軽んぜられるが、国家も同じである。国民が甘え・卑屈・依存心から脱却し、日本は自分たち自身の国であるという気概を持たない限り、日本は独立した近代国家として諸外国から認められることはない。

明治維新から第2次世界大戦前までの状況と戦後とでは、この福沢諭吉の言葉に関連した気づきがある。それは、あの悲惨な戦争を起こしたというトラウマも現在の日本状況に少なからぬ影響があるということである。戦後日本は、勤勉なマインドで再建を果たした。しかしながら、どこか、自分たちで主体的につくった社会ではない、という、平和でありがたいが何かが欠けている、というものを感じている。加えて「社会はお上がつくるもの」の風潮も感じる。その「何か」をスイスを研究することで明らかにしていきたい。スイスとは環境条件も異なるが社会システムを熟成してきた歴史も参考にしていきたい。

国境のある国 vs 海に守られた国

「アルプスの少女ハイジ」のおじいさんは若いころは傭兵だった・・・

多根氏の本でも紹介され、さっそく「アニメで読む世界史」藤川 隆男 (編)を購入し読んでみることにした。スイスと言えば永世中立国であることから、傭兵などは想像できないことであったが、農業以外の産業で生計を立てる機会も少なく、傭兵として国外へ出て出稼ぎをしていたそうである。今日では、ひとりあたりのGDPでも屈指の実力であるが、この歴史や国境がありながらの永世中立国としての覚悟は、日本人も大いに参考にしなければならないと思う。

自分の国は自分で守る覚悟は、論点として外交や防衛にも及ぶので、このことは別稿に譲るが、この覚悟がスイスの社会システムを形成していることは間違いない。そういえば、ハイジのおじいさんは柔和な顔つきのときもあるが、がんこで厳しい目つきをみせることも多かったと記憶している。厳しい時代を経て平和で牧歌的な情景をどんな目でみていたのだろう、そんなメッセージを感じることなくこのアニメをみていたものだ。ハイジのおじいさんオンジの目の奥にあるものは「覚悟」で築き上げた平和・・・そのために犠牲になった人たちであろうか・・・

海に守られた国日本も、戦争で多くの犠牲を出した。戦後に育った人間がその悲しみを言う資格はない。しかしながら、その歴史を振り返り高度成長期から現在までの経験を未来に活かす責任はある。司馬遼太郎が記した、日露戦争から太平洋戦争まで突き進んだ日本の自信とその後の過信は、生活の糧として傭兵に出た時代を経験したスイスとは根本的にマインドが異なると感じる。当時の日本は、海に守られた元寇とは違い、海を盾にして過信を矛にしたのである。

戦後は復興したが、過信の矛の発露からきわめて短い時間で受動的な国へ変貌を遂げた。この時間の短さもスイスのような「覚悟」を生み出せなかった要因かもしれない。以降スイス人の覚悟とはどういうところに出てくるのか分析をしていきたい。

 


ドイツと日本

日本の大都市一極集中の問題は深刻なものがある。

岸田政権は、少子化対策も「異次元の」と銘打ち、菅政権から継承した不妊治療費の国庫負担政策や男子含めた育休制度の拡充など、前向きな検討が促進されている。しかしながら、これらで必要十分条件の十分を満たしているといえるだろうか。やはり、人口の都市一極集中問題は、少子化対策の十分条件として検討すべきではないかと思うのである。生態学的にもある地域での人口増はロジスティック曲線で飽和していくことが知られている。たとえば、勤務先に近い住む場所は徐々に狭まり、そこに住む若い世代や子供たちの数はいきおい制限を受ける。解決方法は多角的に検討する必要があるとしても、根本にある問題のひとつは人口の分散化をどう進めていくかである。

ドイツが人口8300万で日本の約2/3に対して首都ベルリンの人口は385万しかない。第二の都市ハンブルグに至っては185万。しかも1991年からわずかに増えただけである。あちこちに首都があるイメージである。(都市もエネルギーも)分散化に対する考え方、人々の主体的行動力、の違いがあると思えるのである。
例えば、城塞都市(日本では城下町)の作り方。ドイツの城塞都市は旧市街ともいわれているが、街の真ん中に教会があり高い城壁で街ごと守られている。日本は城下町そのものが盾がわり(お堀はあったが、武士のみがお堀の内)で敵の進軍を城下町で守っているイメージ。ドイツとは市民の守り方、市民の外敵からの守り方のマインドが異なるように感じられる。

日本は、できるだけ大勢で集まっておいたほうが安全だという感情を多くの人に根付かせてきたのではないだろうか。
だから産官民みんな一ヶ所に集まりたくなるのではないかと、、、単なる仮説にすぎないので検証は必要であるが、日本人の街づくりや日々の暮らしに関するマインドの問題は深く関係しているように思われる。


日本の半導体事業はなぜ衰退したのか・・・次世代への伝言

はじめに

長年、電子機器メーカの半導体事業部門で技術開発、戦略マーケッティング、海外開発部門の運営などを担当してきた。対内セット事業部との共同開発に始まり、国内外問わず多くの外部顧客への売り込み、Philips半導体部門との共同開発やIntelとのソリューション開発など外資系企業との付き合いもあり、結果、半導体事業に関する多くの考察軸を得ることはできた。アナログとデジタル、半導体事業内の垂直統合と水平分業、顧客のための技術組織のあるべき育成方法、「内販vs外販」というセット事業部技術情報拡散リスクと半導体投資回収という二律背反命題、などなど葛藤の現場を経験したり見てきた。所属していた半導体事業部門は今は別会社となり切り出されている。しかも残念ながら「システムLSI」と「アナログ、ディスクリートなどその他の半導体」と別々の会社となってしまった。

半導体事業が別会社化したこと自体は、独立系半導体企業への対抗のためにももっと早くすべきだったとの思いはあった。しかしながら問題はそれまでの経緯と切り離し方である。なぜシステムLSIからアナログLSI・高周波やパワー半導体までシステムソリューションを武器にした切り離しができなかったのか。苦渋の判断があったことは間違いなく、それだけ投資と顧客価値などの命題は複雑だ。このことも、日本全体の半導体事業の衰退の要因と無関係ではない。

半導体製品市場はおおよそ500,000百万ドル(約70兆円@140円/ドル、CY2023WSTS予想)と隆盛を極めているが、かつてTop10に連ねた日本企業の名は今はない。熊本でのSONY、TSMCの連合やRapidusなど再チャレンジの動きも顕在化しているが、Top10から姿を消した要因は、産官学の連携方法や他国と比べた国策の優劣などどのように分析されているのだろうか。「微細化2ナノメートル開発」とアドバルーンは上げるが、それでどれだけの市場訴求力があるのか、税金投入の妥当性を示す投資回収に関しては目標は聞こえても方法論は報道からは今のところ聞こえてこない。ビジネスモデルの変遷とともに「いい技術で作れば売れる」は陳腐化して久しい。目標のみであとはなんとかなる、と考えているとすれば昭和10年代を彷彿とさせる。

さらには「ラストチャンス」「千載一遇の機会」とか精神論的なニュアンスが聞こえてくる。地政学的な背景がきっかけにもかかわらず、国がカネをつけるから’千載一遇’だとすれば、失礼ながら浅薄なものを感じる。国と一体となって、には民間だけではなしえない資本力という意味では異論はないが、あくまでビジネス機会というモチベーションの発露でないと、税金投入して大丈夫か、と思ってしまう。やや皮肉な言い方をすれば税金投入の正当化のためのメッセージに聞こえてくる。まるで世紀末のような言い方は若い世代に失礼だ。多額の税金が投入されるのだから「心新たに挑戦する覚悟だ、国民のご理解ご支援をいただきたい」というのがあるべきメッセージであろう。また、何よりも過去に何が起こりなぜそうなったのかを国民に理解してもらうべきではないだろうか。

国民も、「事業が衰退した、あっそう、じゃあラストチャンスで頑張ってね」で他人事を決め込んでいる場合ではない。半導体事業再興の問題は国民に産業構造と雇用機会に関する意思を問いかけてもいる。1985年のプラザ合意以降の国内産業の空洞化、バブル景気と崩壊、失われた30年の後の昨今の格差社会の顕著化は我々国民一人一人の姿勢の問題でもあるのだ。金融やサービス業(「コトづくり」を含む)に重きをおき「愚直にモノづくり」を死語とあざ笑う風潮もあった。プラザ合意を日銀や経済界も十分吟味できたのかはなはだ疑問だ。同時に政治に無関心な我々国民も経済動向に関して勉強不足であったことを否定してはならない。それまでが好調だったからで楽観していたのだろうか。富裕層も増えたかもしれないが、企業では人件費の変動費化のため非正規雇用が増加し、結果、格差社会になってしまった。あろうことか子供の7人にひとりは貧困に喘いでいるという。この状態の責任を政府にだけ求めるのは片手落ちというものだ。手足動かす仕事を海外に移管し国内を空洞化させてしまったのは企業の姿勢や生活面で都会志向が強くなったことにも責任の一端がある。

国民が豊かになっていくためには、やれイノベーションだ起業だ、AIだITだだけでは立ち行かないはずだ。モノづくりや農業、はたまたアルバイト中心で地道に働いても豊かになれる社会でなければいけない。雇用機会の多彩化と人口の分散化が必要なはずだ。国にものいわない(政治に無関心)ばかりか、為替レートも影響したとはいえ、我々はモノづくりを海外に任せて平和を楽しんでいた側面もあるのだ。上述のように半導体再興問題は、これから日本がどう立ち行くのかに類する命題であり、プラザ合意以降の日本人のマインドとも照らし合わせて、我々一人一人が考えていくべき命題である。

半導体事業の過去の轍を踏まないために、あらゆる角度からの検討が必要と思うが、戦略のあり方や日本人のマインドにまで踏み込んだ分析がなされているのか老婆心ながら懸念を抱いている。TSMCに学びファンダリーに徹する手もあると思うが、半導体にまつわるビジネスモデルをグローバル視点で習熟し顧客とコミュニケーションする必要もある。顧客の戦略を鵜吞みにしてファンダリーでの巨大な投資判断は危険である。独自に顧客のそのまた顧客への販路を評価し判断する力が必要だ。また、「北海道バレー」というメッセージもきわめて短絡的である。TSMCは米シリコンバレーと離れていても成功している。米シリコンバレーとは意味合いが若干異なるとは思うが、キャッチコピーひとり歩きの懸念を感じる。上述のようにビジネスシナリオと立ち行くか否かをわかりやすくすることも忘れないでほしい。SWOT分析ぐらいは国民にも理解してもらうべきだ。

北海道で各種産業を活性化させる期待も込めて「北海道バレー」と言いたいのは理解できるが、ことはそう単純ではない。シャープの亀山がその典型例だ。AQUOSの美しさに魅了され成功を期待していたが今は海外移管が進み雇用環境が激変している。北海道へ進出したい企業は半導体事業の過去の経緯、何が成功の軌跡で何が衰退の要因なのかなどをよおく勉強すべきだ。ラストチャンスだ北海道バレーだのと言葉だけに踊らされて結果的に無駄な投資にならないよう、細心の注意が必要である。日本企業は国の後押しがあれば大丈夫というマインドに脳が侵されている。言い過ぎだろうか。昨今の低金利政策にもかかわらず景気が上向かないのは、企業がコアコンピタンスをもとに自主的に勝負する気風が薄れているからとも思える。つまり国が旗振ることしかやらない企業風土になってはいないだろうか。アメリカ企業の参画も決まっているが、地政学的な背景でどう動くのか、予断は許されない。もし地政学的リスクが緩和すれば、そのときに競争力のない工場になってしまっていればアメリカは見限るだろう。やるからには、いかなる環境でも立ち行く事業力にすべくシミュレーションしてほしいものだ。

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半導体事業といっても多くの分野があり、様々な分野での分析・検討がなされている。本稿で分析検討していきたい分野は、主にアナログLSIやシステムLSIである。よって、半導体事業の衰退要因分析の対象としては分野の偏りは否定できないが、個別の具体論から汎用性のある一般論へ昇華させたいと考えている。自分自身もあわせ多くの人々の奮闘の中で、何が「失敗の本質」なのかを考察を進めていきたい。これらの分析の中で目指したい結論は、日本人あるいは日本の組織としてのマインド改革の必要性と方法論である。これまでの経験で得た考察軸をもとに、次世代に生きる教訓としてまとめたいと考えている。

最終的にはマインド改革を継続的に支える「安定な人材流動社会の促進」を提唱するべく、その必要性の根拠を考察や検証をもとにまとめる。もちろん、同じ仕事をし続ける、同じ会社に居続けることを否定するものではない。全員が転職していれば組織は良い風土を作っていくことは難しいだろう。「安定な人材流動」とは、多種多様な経験が共存できる文化を意味している。

 

日本はなぜ高度成長できたのか

戦後の復興や高度成長についてはいくあまたの記事があるのでここであえて多くを書く必要はないだろう。技術革新、復興のための投資、勤勉な労働者・・・アメリカの支援には関しては、地政学的な背景もあるが、自由民主主義を根付かせ社会や産業を復興させようとしたことは間違いない。今と比べれば貧しかったが、幼心には、親の世代の踏ん張りを感じてきたものだ。年始など出店がある時期には、傷痍軍人の姿があり、よく父に10円玉を握らされ小さなお椀にいれた。軍帽を被った頭を静かに下げる姿は今も脳裏に焼き付いている。皆「どん底からの再起」を心に誓って日々を過ごしていたのだ。一方で「挑戦するネタ」となる夢があったのも事実だ。松下幸之助の家電普及への思い、本田宗一郎、盛田昭夫/井深大、の技術への思い、数えればきりがないが、歴史の偉人といわれる人々の活躍は、多くの働く人々の脳裏に染み付いたはずだ。

1960年代少年だった筆者の夢は電子技術や宇宙での仕事だった。科学雑誌や図鑑を読みふけったり工作したり、百科事典で興味あることを次々に調べることが好きだった。戦争の悲惨さも知らず、戦中戦後の苦労など親の世代のおかげでかぶらなかった身がおこがましいのだが、そういったどん底から這い上がるスピリットがあって自らも学んで、集中力が磨かれたのかもしれない。

この集中力とか執念を生み出す環境が高度成長期と現在では異なるように感じる。しかしながら、Steve Jobsのスタンフォード大学の卒業式でのスピーチは、時代に関係なく、一般に言われる成功あるいは当人が考える成功というものがどう生み出されるのかを語っている。とりわけスピーチの締めくくりとしての「Stay hungry」は成功の本質を考えるキーワードだ。好きになれるものと信じるものの発見が根源にあること、スピーチを聞く人に大きく共鳴したと思われる。

半導体時代の先輩に「失敗の本質を考える前に成功の本質も考えるべき」と貴重なアドバイスを頂いた。まったくその通りである。成功の本質に照らして行動の判断をまずはすべきだ。また、失敗の本質といってもそもそも成功とは何で、何に対して失敗というのかという命題もありそうだ。人それぞれ価値観があり、成功と失敗に関するいくあまたの格言もある。このことは、大命題「半導体は・・・」を書き下ろしながら対比していくことにする。

なぜ高度成長ができたのかは、冒頭書いたようにあまたの要因があるが、根源をたどれば集中と執念という人それぞれのマインドだ。このことから、半導体の復興だ、賃金をあげよ、などいろいろな社会的経済的命題に関して、その目標に向かって好きになれる仕事はあるか、執念を燃やせるか、が成功の本質に照らすことになると思う。

 

電子技術への憧れからビジネス動乱の荒波へ

時は1970~80年代、家電製品の普及で人々の生活はどんどん変化していった時代であった。カラーテレビの普及率も90%を超え、番組をタイムシフトで視聴、チャンネル争い防止などのニーズに応えるべくVTRが普及していった。お手頃価格のビデオカメラで楽しい思い出を撮ることもできた。

小学校時代、学研の「科学」を購読し、鉱石ラジオの工作で「自分でも電波をつかめ音をならせる」ことに感激し、電子工作に(宇宙にも、だったが)没頭していった少年が、のちに電子機器メーカで半導体開発の職に就いた。毎日が夢中で、半田ごてを握るとあっという間に夜になることを実感してきた。

当時、電子機器メーカーが半導体事業部門をもった最大のモチベーションは、電子機器の性能・機能・品質・コストを決めるキーパーツは半導体であったことだ。電子機器の競争力を高めるためには半導体事業をも握ることが重要と認識され、事実、TVにしろVTRにしろ庶民に手が届くようになった背景には半導体の進化による貢献が非常に大きい。この機器側からみた技術戦略眼は正しかったが、やがて、さらなる付加価値化のための半導体事業への投資額は、半導体事業部門による対内電子機器部門への販売だけは賄いきれないほど巨大化していく。コスト要求と販売規模ための他社売りが自社機器戦略に不利に働くことへの懸念など「二律背反」のうねりが出始める。電子機器部門も内部半導体事業部門とのみ付き合っていては機器の付加価値化に貢献できないと危惧し、外部半導体メーカーとの付き合いを増やす流れになっていった。当初重要であった自社内で半導体部門という技術戦略が、機器部門を上回る投資額、かつ性能・機能・品質での競争ポイントが飽和しコスト競争主眼でほころびが出てきたのである。システムLSIであるSoC(System on Chip)でも、アナログLSIより後年に同様の問題が顕在化している。

仕事を経験していくうちに、高度な回路技術への挑戦のみならず工場でのトラブルへの対応など世界は広がっていったが、営業に連れられて拡販活動をしていく中で企業の占有率競争なるものも否応なく刷り込まれていく。やがて、日米半導体協定やら欧州ローカルコンテントやら、無邪気に半田ごて握っていた若者でも外洋には波があることを知る。国対国の論理が占有率に影響を与えていくなどは想像を超えた世界だった。欧州ローカルコンテントは域内産業保護として理解できたが、日米半導体協定はいったい何が起こったのかぐらいの感覚だった。後々日本の経営者の自社半導体事業に対する位置づけの問題ではなかったかと教えてくれる先輩もいた。が、若かったとはいえ自身のマインド面での課題もあったととらえるべきだろう。不平等なビジネス環境では半田ごての腕前も意味をなさなくなることぐらいは気づくべきだった。

また、日本における半導体事業は、国と企業、また企業内の意思決定ヒエラルキーの伝統からくるもので、自社にあろうが他社であろうが下請け的な位置づけ、ゆえに協定に大きな抵抗感はなかったのでは、との分析もあるようだ。半導体事業のプレゼンスを押し上げようという動きをしっかり作れなかったことは痛恨の極みであった。さらには、電子機器開発競争はデジタル化への流れにあいまって、ビジネスの方法もアプリケーション分野の変化に伴い競争ルールも変化、垂直統合企業における半導体部門も本社からのポートフォリオ経営の視点でみられ、厳しい試練にさらされていったのである。

時は流れ、日本の半導体事業はまさに「国破れて山河あり」の様相を呈している。DRAM、ロジック、アナログ、それぞれの分野にそれぞれの要因が考えられるが、共通の要因としていえることは、自前主義へのこだわりなど保守的でビジネス環境変化への対応が後手後手に回ったこと、マーケットをみる力と巨大投資を回収する販路構築力が乏しく「腰が引けた」ことだ。前者は垂直統合企業における半導体事業部門においては、対内機器部門という顧客への販売ビジネスモデル中心にとらえたがため、技術と営業一体となった外販ビジネスモデルへの変革が遅れたことに現れている。たとえば、半導体独立企業にはある顧客のためのアプリケーション技術組織が垂直統合企業の半導体事業部門では欠如していた、もしくは中途半端に推移したことだ。これらは経営者の責任には違いないが、それだけで片づける問題では全くない。現場目線では例えばビジネスイノベーションにつながる技術開発力が十分だったとは思えない。国の政策含め、こういった状況を生み出したマインドや力量を一人ひとりが自分を見つめ直さないと根本的な解決は見えてこない。

 

反転攻勢へ?

おりしも政治的な背景もあり、日本の半導体事業を復興させる動きが活発化している。呼応するように「なぜ衰退したのか」を分析するアナリスト、事業や開発経験者の著作やネット記事が増えてきたように思われる。SONYのイメージセンサー事業など成功している事業もあるが、これから再興にあたる方々は、税金も投入されるわけであるから、これらの論考を真摯に受け止め戦略に生かしてほしいものだ。

半導体事業の衰退・・・?半導体事業なんて興味ないよ、の声も聞かれる。半導体事業と聞いただけで、ん?わからーん、の反応もありそうだ。責めるつもりはない。しかしながら、ここ数十年でおきた日本の半導体事業の歴史は(電子機器事業も、であるが)、「日本が国としてどう立ち行くのか」に類する大命題を内在していることを訴えたい。賃金の伸び悩みには関心を寄せても、日本の産業構造や企業の考え方も関連していることには気が付かない(わかっている人も大勢いる)場合も多い。地球温暖化問題や少子高齢化による年金問題などを契機に政治に関心を持つ若者も増えてきたが、政治への参画意識を盛り上げる仕組みは十分とは思えない。政治家が報告会をしているのは良しとしても若者の意見を吸い上げることも兼ねた勉強会は十分とは思えない。半導体事業の再興問題のみならず非正規雇用増加の背景などは、多くの若者から見れば「なんとかしてよ」的命題に見える。

しかしながら、他人任せではもう解決できないことだらけであること日本国民は知るべきだ。個人だろうが組織の課題だろうが歴史的に培ったマインドに起因していることが多いと思えるのだ。

仕事人生を大方終えた身としては、いかにわかりやすく伝えれるかに腐心し、過去の轍を踏まないための方策提言とその提言理由を整理することが残された責任だろうと思う。標記の命題は、何も半導体事業の関係者に向けたものだけではない。戦後から高度成長期、電子機器立国と凋落の辛酸の経緯、これらを日本人のマインドに照らして分析することで、我々はどう変わっていくべきなのかがみえてくる。これだけ電子情報や飛び道具が上空を飛び交う時代、島国マインドでは守れないことを我々は自覚する必要がある。

衰退要因はどう分析されているのか

日本企業はとりわけ「過去を総括して前を見据える」の習慣があるようにはみえない。前任たちへの忖度が優先するマインドなのだろうか。また、京セラの稲森さんの「アメーバのように事業の再編を試み人を生かす」というよりは、限られた経験、視野の狭い指標での「選択と集中」や人員整理によるコストカットが得意な経営者が多い。「過去を総括しない」は、失敗した将軍を批判するより「見事な采配であったが・・・武運拙く」と賛美から入る伝統が戦中から引きずっているようにもみえる。賛美の後は実務的な分析は素通りとなる。国家にも同様のことがいえるだろう。

この悪弊は、果たして企業経営者や国家の責任者に人差し指を向けて片付く問題なのだろうか。企業人ひとりひとり、国民ひとりひとりに「過去を総括して・・・前を向く」を阻む病巣があると思える。しかしながら、何が罪なのかは明確にしなければならない。ピンぼけな分析は対策をより抽象化させる。

最近増えた記事を参考にしながらも、衰退の理由のトップレイアーのみならず「理由の理由」とブレークダウンしていくことも重要、これが最大のモチベーションである。たとえば、中国や欧米に比べて日本は意思決定が遅い、と言われる。ハンコが多いのもその証左だと(最近は電子決裁だろう)。ではなくせ、といわれても、簡単ではない。人の心に根本原因があるからと思えるからだ。また、「日本は転職する人が歴史的に少なく、寄らば大樹、的なマインドで飼いならされてきた」という人もいる。最近は転職サイトのCMも多く徐々に増えてきたが、個人のスキルアップにつながることは期待できても、意思決定スピードの改善につながるかは、単純ではないだろう。意思決定のための情報や経験値の向上(失敗を生かすための訓練など)までは転職で担保されるわけではない。飼いならされ軍団の中に一人だけとがった転職者がいても風土を変えるには時間がかかる。日本人は同調圧力に弱く、自分の意見を率直に戦わせる中で育っていない。

自ら経験した垂直統合型企業(顧客である機器部門から半導体事業部門まですべて包含する)で感じたことや奮闘したことを基盤に、「ではどうするべきだったのか」「これからどうすべきなのか」を個人個人の行動や考え方目線でまとめていきたい。ただ、断言するには多くの議論が必要だろうと思われる。長年の経験と幅広い経験はイコールではないからだ。しかなしながら現場目線で何が起こっていたのかを整理することは決して無駄ではないと思う。「理由の理由」を考えるよすがにはなるだろう。

日本の半導体事業衰退の要因としては、下記の論点が考えられる。

  1. 価格競争力
    • 人件費など経費
    • コストと価値のトレードオフ考察力
  2. 投資力
    • 微細加工設備投資の巨大化
  3. ビジネスモデル構築力
    • 投資力維持のための水平分業化
    • 電子機器事業との垂直統合脱却の失敗
    • 顧客価値に立脚したサービスモデル構築の遅れ(プロダクトアウト発想の歴史的蔓延)
  4. 事業イノベーション力
    • 先進研究を事業につなげる力/発想の不足(マイクロプロセッサなど)=先頭を切って先進技術を事業化できない
  5. 人材
    • 理系不足
    • 語学力
  6. 組織文化
    • ヒエラルキー構造文化と「おらが大将」崇拝=フォロワー志向
    • 合従連衡への抵抗
    • 顧客価値に立脚したサービス戦略の遅れ(e.g. 縦割り事業構造の縄張り意識)

これらを整理して事例をもとに分析することは重要であり多くの識者が論を展開している。これらの原因を生み出したマインドセットの感じ方は千差万別であるが、私なりに分析を進めていこう。

以下に考えられる弊害となったマインドセットについて列挙する。自らに耳の痛い内容もある。

弊害となるマインドセット仮説

・「親方日の丸」気質もしくは「寄らば大樹(大企業病)」的安定志向

・群れる/村社会/同調圧力/忖度

・受け身

・「顧客価値」より「自社組織の都合」、ルーツにある「士農工商」

・失敗から学ぶ=ネガティブ思想、という誤解

 

考察の起点となる過去の出来事・視点・キーワードなど

以下、日本の全半導体企業に当てはまるわけではないが、自らの経験をもとに列挙する。局地的な事例もあるが、これらからできるだけ汎用的な命題としてとらえれるよう解釈を加えていきたい。これからの新しい世代の人材が過去の轍をできるだけ踏まず将来につなげるために整理し考察につなげていく。考察の緒は改行して簡単に記す。

  1. 電子機器開発の活発化(高性能化、低価格化)と半導体開発戦略の迷走
    • 開発部門横割り組織を解体し縦割り事業部ごとの開発部門へ⇒売上増のための開発が戦略の最優先事項⇒長期的にはどうだったのか⇒やがてチップセットソリューションが顧客価値の時代へ
    • デジタル時代の到来と、差別化技術としてのアナログ技術の重要性への不見識
    • 半導体部門の縦割り組織とアナログ、デジタルなど横方向でのソリューション連携の欠如
      • 事例
        • NTSC、PAL/SECAM、VTR用半導体セット(信号処理とCCD遅延線)
        • 携帯電話向けチップセット(RFフロントエンド、RF処理、BB、PMIC)
        • デジタルオーディオ(RF、BB)
    • 半導体開発部門を「設計工場」ととらえ、顧客に貢献するアプリケーション開発を軽視
    • Intel insideの衝撃
      • アナログ電子機器隆盛時代の半導体事業方法に安座。CPU、メモリー台頭についていけず
    • 開発中心主義の弊害
      • 海外での半導体開発拠点づくりとかみあわない半導体販売戦略(=営業戦略と開発戦略の不連携)
      • 「士農工商」文化(海外は営業の意思決定が上位)
      •  
  2.  顧客と供給側との間にある主従関係意識(文化、風土)
    • 垂直統合企業における電子機器部門と半導体部門
      • 半導体部門にあった電子機器部門への「作ってやる」意識=逆主従意識(半導体事業は創業者の意思、に威を借りたか)、その後の半導体競争激化による半導体部門の顧客意識の芽生えと顧客との潜在的主従意識
    • 自動車メーカーと電子機器メーカー、携帯キャリアと電子機器メーカー
      • 競争力維持(=関係継続化)の手段にある主従意識、セット部門も苦労したが、半導体部門もセット部門と上位顧客との間の主従関係を尊重し、ともに不夜城状態の火の車開発体制へ。
    • 独立かつ対等な顧客戦略を打ち出せない日本企業=「高品質、低価格が戦略のすべて」的感覚
    • 形を変えて息を吹き返してしまった半導体部門と電子機器部門の「逆主従関係」=「セット部門すべてに〇〇〇〇〇SoCを使わせる、これは宗教である」(親会社某幹部)
      • 顧客価値より優先した供給側の投資回収
    • Appleの台頭で気づいたコスト競争の過ち
    • Intel insideの衝撃
      • チップセット戦略と顧客用アプリケーション基板とソフトの充実、ソフトウエア開発でのサードベンダーや台湾ハードウエア企業の囲い込み、顧客との対等な関係
      •  
  3.  微細化と投資の巨大化、そして顧客拡大の必要性増大化、ビジネスモデル変化への対応スピード不足
    • カスタム半導体の顧客拡大シナリオの欠如、垂直統合時代に劣化した顧客価値創出力
    • (特殊な背景)投資判断は確実に売れる対内顧客向けカスタム半導体に偏重、メモリーなど汎用品は販路拡大力含めた投資判断材料が欠如
    • 単品からシステム販売への対応力不足
      • 顧客価値創出組織が編成され電子機器部門から人をシフトさせるもTIなど先行メーカからは周回遅れ、またアナログ含めた総合ソリューション開発組織にあらず
    • 半導体事業内でも垂直統合(=内製化)にこだわり、TSMCを中心とした水平分業の波に乗ることに遅れ
    • 顧客貢献組織を創設するも組織育成方法が迷走(e.g. 技術力が要求されるも営業指標で評価)
    • ソリューション組織が発足しセット部門からも人材がシフトするも、システムLSI事業のみ。顧客のためのアナログ含めたシステムソリューションというよりは顧客を囲うためのソフトウエアソリューション開発が主眼になっていた。
    • セット部門のノウハウ流出懸念も足かせに。
    • やがて、システムLSIと非システムLSI、で事業再編し、別会社化。⇒顧客価値の本質追求よりも事業運営効率(わかる範囲のことしかできない)視点に重きがあったと思われても仕方がない。⇒S57年の開発部門横割り組織の解体以来、横方向連携は疎のままで終わる。まさに組織のカタチが顧客価値よりもプロダクトアウト発想に重きがあったような気がする。
    •  
  4.  国策と経済の搦め手に関する障壁⇒日米半導体協定
    • 摩擦を避けたい国民性
    • 垂直統合企業の半導体事業に対する考え方の問題(サイアク外部から買えばいい的な位置づけ)
    • 欧州ローカルコンテント政策は域内産業保護
    •  
  5.  終身雇用風土にあいまって組合も強く拠点移動に伴う同職種での異動が困難=不向きな職種への転換(製造現場から営業への転換など)=組織力低下
    • 製造から来た尊敬できる営業マンも多数いたが、製造現場にいたかった的な人もいた。
    • 日本の伝統は「労働条件が気に入らなければストライキ、賃上げ闘争」、欧米はどちらかといえば「気に入らなければ転職」(表向きは「キャリアパス形成」と前向き表現)
    •  
  6. システムLSI事業とアナログ事業やディスクリート事業を分離した愚策
    • かつて電子機器部門とつながってシステムソリューションに慣れた風土を生かせず。顧客価値より優先した投資回収優先順位意識。
    •  
  7. セット部門の海外拠点供給化対応として受身的に進出した半導体後工程。
    • 力を付けた海外人材がのちに別会社へシフトするも受身的進出の半導体後工程への発注継続にはならなかった。⇒海外人材が力を付けたのはいいが製造装置とその人材が他社へ行ったため注文継続の保証がなかった。 
      • 拠点移動のみならず、製造技術ノウハウ移転まで実施。太平洋戦争の罪への贖罪の意味も感じ取れた。また、松下幸之助はじめ日本の企業人は誠実に近隣諸国の発展に尽くしたいと願った。問題は技術ノウハウまで移転したこと、国内での製造拠点を衰退させたこと。技術戦略とビジネス戦略の結合力が乏しい日本企業が自らの首を絞めた。儲からない=選択ハイキの対象、と短絡的であった。工員が汗流す製造現場は国力の源泉なのに。。。このことが非正規雇用の増加と伸びない賃金、という状況を生み出したと思えてならない。
      •  
  8.  組織的分業体制の不足(e.g.日本では朝から遅くまで就業、共同開発した某ドイツ企業は同じ業種で8時出勤16時退社、回路設計、シミュレーション、マスク設計、試作手配などを分業)
    • 村社会文化の弊害(あんたが大将なんだから的にできる人に仕事集中)vs 狩猟文化(分業しないと獲物はとれない)
    •  
  9.  「失敗の本質」に気が付かない島国マインド
    • 「日の丸連合」政策⇒集まれば効率は上がるかも、、、でも縮小均衡=なぜ勝てないのかの本質議論がない。
      • 縮小により人材も海外へ流出。
    • 超LSI技術研究組合⇒技術投資力への対策。製造装置開発に成果はあったという評価はあるも、事業の継続性に疑問の声もあったらしい。(以下個人の感想)競合状況やビジネスシナリオを十分議論しないままの国費投入にみえた。国のお墨付きがあればよしという甘えを企業に植え付けたのではないかとも思える。
    • 助成金事業の弊害。企業が自らの責任で事業戦略を遂行するというよりは、国のお墨付きで判断、の習慣に。
      • 助成金で社会実装が加速・・・の事例もたくさんあるが、投資判断訓練の妨げにはなってしまっている。=失敗しても責められない状態。

 

上記はカスタムLSIの開発や事業に関連するものが多い。ここから日本の半導体事業が衰退した要因をあぶりだしていく。また衰退したのはメモリーなど汎用品だけではない。経営判断が、とか、社会情勢が、、とか、と分析していくことは有益ではある。が、それだけで止まっても将来には生きない。問題は「なぜ」そのような轍が形成されていったのか、である。すべては「人」「マインド」に帰結する。

無論、個人の力だけでは及ばない課題もある。それは「組織」という人、マインドで形成される大きな個体として考えることができる。が、複数の人、マインドで形成された個体は、仲間意識、ヒエラルキーの弊害(ヒラメ現象、同調圧力)など得体のしれない特性により正しい判断ができない場合がある。したがって「人」「マインド」「相互作用」の観点で分析を進める。

 

具体的な考察・様々な物語から

エピソード-1⇒駆け出し編(Click here)

エピソード-2⇒トビウオの記

エピソード-3⇒革新への挑戦

エピソード-4⇒海外へ

エピソード-5⇒プラットフォーマー(Click here

エピソード-6⇒インドにて(Click here)

エピソード-7⇒国破れて山河あり、そして再建へ

 

導きたい結論

自分たちのことは自分たちで決める力と組織・集団での議論力を向上するとともに失敗しても立ち直れる社会に。このマインドが日本再興の必須条件。そのためには人材の安定した流動化が必要である。

  •  社会人教育と企業や省庁での採用方法
    • 終身雇用風土を打破し、インターン制度や有期雇用契約による人材流動化の促進
    • 専門性のある担い手への職場での評価の向上
  • 高等教育
    • グローバル性/多様性のある環境で学ぶ学生、福祉ボランティア参画者にインセンティブ
  • 専門教育
    • 工業/商業高校、専門学校、福祉・医療学校卒業後のインセンティブ

理由

「過去の失敗を直視して公平に分析し、企業など組織における柔軟な戦略、国家/社会/コミュニティとのバランスを視野に入れた戦略、これらを立案実行できる人材を多く育てるためには、転職・再入学などで実際に体得した多様性・グローバル性・異なる世界観の理解力が重要。経験なしでは実現できない」

概要

学生時代だけでなく社会人になってからも常に柔軟な発想を磨き、あらゆる議論の場でもひるまない人間力につながる「安定な人材流動社会」を生み出す基盤を作る。具体的には・・・

・企業や省庁における定期採用の仕組みを見直し。新卒で入った社員の生え抜き意識を破壊、転職者尊重の風土を作る。また、インターン制度を拡充。

・学校教育のみならず企業や省庁などでも留学制度、留学受け入れ制度を拡大。

・学生の社会問題参画意識の醸成のため、(授業料減免制度と併用して)公共ボランティア参加促進=社会に出てからも組織課題や仕組み課題への考察と議論力を即発揮

・社会の風土として、安定的にひとつの組織に居続けることも否定しないが、むしろ多彩な経験こそが貴重であり尊重される文化を促進していく。

効果

ひとつの組織に縛られ続けることの弊害を緩和。つまり、人材として常に磨く習慣がつくとともに経験が多彩化、また、失敗しても「敗者復活」のシナリオを得やすくする、胆力を鍛え組織への提言力を強化する、考え方が合わないなら転職して挑戦する、などなど人材としてブラッシュアップをしやすくなる。同時に、組織の強靭化も図ることができる。

 

目指す提言(実行プラン)

グローバル基準のフラットでオープンな意思決定インフラを企業や社会に根付かせ、社会価値のための効果的な投資と回収を判断する力をつけるために、、、

  • 教育システムの改革
    • 海外留学を目指す学生を増加させる⇒高校以上、志望者の選別は日ごろの成績により推薦を獲得するしくみ。成績をアナログ的に判定、授業料免除や留学費用減免措置を合格成績で決定。⇒海外の文化を理解するだけではなく体感させる。企業や、社会に生かす。
    • 成績優秀者、苦学生、ボランティアで社会貢献の学生などの授業料減免(優秀な人、社会性の高い人を社会が支える)
    • 専門学校制度の強化⇒就職優遇、授業料減免
    • 「大学は社会人になる前の幼稚園」のような風評を打破。卒業の基準を厳格化、一方で中退でも活路を開くメニューを。
    • 何のための学問なのか、何のための勉強なのか、多様な目的のメニューの提示。⇒日本は「とりあえず大学へ」の文化になっていないか。
      • 「何のため」を考える習慣が、社会人になった後の主客転倒を防止。社会価値、顧客価値が最優先であることを体に染み込ませる。
  • 企業など採用側のマインド改革
    • 全社員有期契約化。即戦力、要育成(=インターン採用もしくは野球で言う2軍)を明確化し入社時に多様な賃金制度と契約期間を提示。
    • 大学卒業者のみならず工業高校、商業高校や専門学校などの卒業生の活躍の場所を増やす。学歴への偏見を排除し専門力を評価して給料が決まる方法を企業に根付かせる(スイス、ドイツのやり方)。医療や介護や福祉ならびにインフラ整備など社会性のある事業への就職者にスポットライトを当てる。
    • 学生時代もしくは卒業後採用前の公共ボランティア経験者を優遇。
    • 学歴至上主義の是正、特に「大卒高専卒定期採用」文化を是正し「Qごと採用」方式の併用へ。
  • 社会システム改革
    • Job Transfer文化を根付かせるべく欧米並みのSafety Netを拡充。⇒失業保険は「働かない」が前提なので諸刃の剣、当座アルバイトでもOKの社会風土に。アルバイト業務に希望すれば社会保険を。
    • 政策勉強会の設置と運営内容の報道推奨
      • 国会、地方自治議会に政策勉強会を設置し若者部会、一般部会など発言しやすい環境も整え「自分たちが考える社会改革」を国会などに直結させる。⇒現状、たとえば半導体事業再興の国費投入の是非は政府主導であり、是非や是の場合の投資規模などの議論は活性化されていない。

競争戦略からエコシステム戦略へ

時代変遷と自らの経験

電子機器事業・半導体事業での経験を基点に、過去の事例研究から、太陽光発電や電力取引事業など将来さらに発展する事業にいかに活かすべきかについて研究してきています。

企業の競争力視点での研究においては、プロダクトアウト発想ではなく顧客との関係にフォーカスしてきました。同時に、顧客との関係において、供給側がとるべき発想は、イノベーションの多角化も反映させる背景から「多くの事業者がやりがいをもって参画できるエコシステムの運用力」がカギになることに着目してきました。

私が進めてきたエコシステム研究を今後、地方創生など「持続可能なしあわせな地域づくり」や「新たなビジネスモデルの育成」につなげていきたいと考えています。また、当然のことながら、エコシステムは’仲良しクラブ’を意味するわけではありません。ヒト・モノ・カネを投入する限りは発展する土壌(利益を生み出す)でないと毎年毎年芽を出すことはできません。

まずは、産業戦略論の歴史からエコシステムの考え方がどう日本企業ではとらえられてきたかから振り返ります。

では、なぜ日本企業は対応が遅れたのか・・・

垂直統合モデルへのゆるぎない自信というか、過去の成功モデルから脱却できない風土、とエコシステムの重要性はわかっていても、どうしても垂直統合のためのエコシステムと考えてきてはいないか・・・などが、企業として、また構成する社員としての思想の未熟さも含めあったのではないかと考えています。

では、将来に向かってどう解決していくのか、若い世代はどう対応していくべきなのか・・・

第1には、エコシステムでやっていく外交力を鍛え、エコシステム内のニッチ・プレーヤーの視点で戦略を考える「習慣」が必要と思われます。第2には、IoTプラットフォームは、この「習慣」をサポートする共創機能をもつと思われ、技術者のみならず多くの人々がこの共創機能を使いこなす力をつけていくべきと思っています。

この共創機能をいかに具体的に動作させ、競争力のあるエコシステムにしていくのか、P2M体系、アーキテクチャ論、標準化戦略論、システム論、A-U(Abernathy and Utterback)モデルなどを用い研究しています。


地方分権と産業振興に思う

地方分権議論雑感

日本の少子高齢化問題の課題解決議論は多岐にわたる。この中で単細胞な問題提起をすれば、やはり人口集中問題こそ第1に考えるべきと思える。長らくドイツなどはなぜ人口が適度に散らばっているのか考えてきた。そして、なんとか日本も都市一局集中から地方への人口分散がなしえないものかと。道州制議論など地方への権限移行検討など、文化庁移転施策含め概観していくと、財政問題にも触れる多くの議論がある。しかしながら、ふと、群れたものを引きはがす、は歴史的文化的というか日本人の本質からくる障壁もあることに気付かされる。

日本は、村社会文化というややネガティブなイメージもあるものの、ほぼ単民族でいい意味で一体感のある国家だ。メリット追求の議論もあるものの、道州制などで各所で違う政策が打ち出されていくと不安も不信も出て、悪い方向に行きはしないかという懸念もある。つまり「今で何が悪い」的な保守的志向があるのだろう。さらには、道州制が導入して何を解決するのか、によっては国の考え方に相容れないとか、決めれない政治が横行することも考えられる。スイス連邦、ドイツ連邦共和国に関連する書籍を読むうちに気づくのは、彼らは、連邦政府という外交的メリットを追求するも、もともとは多様な民族・宗教の小国が手を組んで成り立っている。つまり、結束志向の分権重視だ。日本は、アプローチが逆になってしまう。

宗教など歴史的な背景が異なる国をそのまま真似てもうまくいくはずはない。このことを踏まえて今後は考察を進めていこうと思う。

産業振興雑感

日本の高度成長期は、戦後の日本人の努力の賜物である一方、アメリカのおかげで成長してきたことを忘れてはいけない。感謝の気持ちもあるが、決してこれだけで締めくくる命題でもない。日本の高度成長は、地政学的背景も含めアメリカのシナリオライティングにより制御されてきた面もあるのである。日米半導体通商協定もその一例だ。この間、国民も政治家も努力はしてきたが、自らの発想で描かず「同調力」で描いてきた面がある。結果、国家としての成長戦略投資を考える自主性が、我々国民ひとりひとりに不足している。このことが考えるべき真の命題である。

一例は、コロナ禍から立ち直りつつある今の状況にもある。人々に笑顔が戻り、飲食店なども人手不足に泣きながらもコロナで苦しんだことを思えばなんてことはないと、頑張っている。これらの状況を批判するつもりは毛頭ない。しかしながら、インバウンドなど観光産業で〇〇兆円規模へ、などの論調により、日本の真の病の治癒がさらに遅れるのではないかと懸念する。観光産業で儲かるのも、若い人たちの知恵で新たな飲食店が立ちあがっていくのもうれしい限りである。問題は、観光産業は他力本願によることが大きいことだ。コロナでそのことは証明された。この状況下で我々は持続可能な成長戦略を国民の覚悟として考える時期に来ている。

観光産業で経済成長率が期待できない場合、いざ、農業含め他産業へといっても収入の問題やスキルの偏りの問題で簡単にシフトはできない。自分の歴史もそうであったが、我々日本人は都会に集中した金太郎飴集団が多数派なのだ。日本の教育システムにおいても、語弊を恐れずに言うならば、学生は目標意識も希薄で「とりあえず大学」の人数比が多いようにも思える。もちろんそこから自分の道をみつけていく立派な若者も多数いるが、重くのしかかる奨学金返済は社会のひずみと考えていいだろう。大学出て都会に行って仕事しないといい生活できない、そんな社会になってしまっている。これでは産業バランスも悪く、食糧や生活インフラの観点でレジリエンス(耐久力、回復力)が弱い社会にどんどんなっていくだろう。若いうちから将来の目標を見据えていく教育システムにはなっていないようだ。スキルを磨く志向の強い若者が、きちんと評価されるように社会の意識を変革していくことも重要である。

日本の真の課題は、他力本願できなかった場合にどう「食っていけるのか」を考えることからあぶりだしていかないといけない。国債発行で乗り切る、外国からの借金があるわけではないから大丈夫、などなど平和ボケもいいとこではないか。金融緩和の10年間に関しても、日銀批判に終始して、低金利にもかかわらず企業が新たな成長エンジンを生み出していけなかったことにはあまり目を向けられていない。どんな市場規模になるのかさだかではないのに「イノベーションが大事」の御念仏だけが横行している。これも日本の病の本質であり、要は「あとはよろしく」的な精神論なのである。新たなイノベーションどころかEVなどは中国・アメリカにリードされ、e-fuelで内燃機関進化も重要と提唱するトヨタの戦略観は国から積極的に肯定されない。国は水素戦略というが、保管も難しい水素でネットワークなど荒唐無稽の極みだ。水素含め低炭素で発電し電気でネットワークするほうが格段にスジがいい。

東北地震で発生した多大なロスと原発への歴史的な投資戦略を十分総括せず、電気料金対策=原発回帰のみに目が行く。原発に投資した電力会社の投資回転や経済界からの電力料金引き下げ要望などを無視することも妥当ではない。原発けしからん再生エネルギーだ、も能がない。太陽光発電による分散化の難しさもさることながら、太陽光パネルなど製品が輸入に頼っており雇用促進には寄与していないことまで考える必要もある。日本人は知らないうちに「再エネ賦課金」で海外から太陽光パネルを購入「させられている」のである。あまりにも議論がなさすぎである。また単純に、海外には価格では勝てない、マインドが蔓延してしまっている。「コストでは勝てない」マインドは仕事やる気がないに等しい。中国などは生産性向上に重厚長大な投資をしている。こういった議論もつくされず「海外に比べ賃金の伸びが低い、あげてくれ」と国が号令する。ありがたい話かもしれないが、どこかヘンである。

食糧セキュリティ対策の重要性指数化(地政学観点含め)、再生エネルギーはサプライチェーンでの国産化比率と雇用創出率ならびにパネルリサイクル費用勘案、原発は安全係数の根拠の透明化と使用済み核燃料処理費用含めた電気代設定、などなど「国としてどうする」をもっともっと透明化して高校や大学の授業でも取り上げていく必要があるのではないか。このままでは国会議員のみならず我々おとなは無責任である。


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