Blog浦道を行く

国破れて山河あり

国破れて山河あり、あまりにも有名なフレーズである。コトバンクでは「戦争によって国が荒廃してしまったことを嘆くことば。また、人間の愚かな営みが、自然の前ではいかに無意味かを表すことば。(中国の杜甫の「春望詩」から) 」とある。明治維新、太平洋戦争敗戦、などなどこの言葉で語れる歴史上の出来事が日本にもあり、軍事クーデターなど外国にもたくさんある。家族や家を失い絶望の想いで山河を眺める当事者の心情には察して余りがある。これら以外でも、パンデミックや現在進行中の地球温暖化も、戦争で荒廃したわけではないが、「国破れて」と形容されそうな事象がある。「山河」を頭に浮かべて「国破れて」を未然に防ぐことが求められているのだろう。

加えて、’自由民主主義 vs 専制主義’や’過激な宗教間の対立’も「国破れて」で語られる日が来てしまう気がするのである。中国は「アメリカは民主主義の押し付け」と非難し、西側は逆に「非人権国家」「不法領土主張」などを非難する。お互い正義は我にありと云うのである。自由往来の世界、障壁無き経済連携、は本当に正解なのか、と考えさせられてしまう。国連はなんのためにあるのか・・・地球は一つの主義主張で自転しているわけではなさそうだ。

「山河」に住み「山河」に根ざした国際協調のカタチを目指せればいいのだろうけれど難しそうだ。中世の欧州勢の進出や150年前日本はなぜ開国に応じたのか、その理由を掘り下げれば山河に根ざせない人類の煩悩が見えるのかもしれない。もうひとつ、経済成長が続けば脱炭素など到底なしえないと説く学者もいる。グレタもそのひとりなのかもしれない。経済成長をやめようという国際協調はできるのか。煩悩の国際化は今に始まったことではなく、経済成長を始めた産業革命それ以前からのものである。縄張りの縄を製造を止めるにはどうすればいいのか。うーーん


時空のゆがみ?

この球体の連続のようなモニュメントは、兵庫県朝来市の「あさご芸術の森」にある。

近所には「播磨ふれあいの家」というハンデの方にもやさしい部屋をもつ宿泊施設があるが、コロナの影響だろうか残念ながら閉館となっている。近所には竹田城址があり、宿のご主人は親切に雲海が出る条件など教えてくださった。

写真は、撮影者(私)の姿が3体も・・・は不思議ではないが、宇宙空間には、光が重力で曲げられて遠方へ飛び、また曲げられて元のところへ帰ってくる、ようなところが無数にあるのだろう。それで・・・続きはまた


津津浦浦

全国に鉄道網が敷かれる前は、海上交通の要所が栄えてきた。

ある識者は「地方活性化の切り札は新幹線」とおっしゃる。交通の要所に「賑わい」が持たされるのは間違いないと思うし、交通は地方活性化必要条件であろう。でもこれだけだろうか。十分条件は何だろう。多くの地方活性化の取り組みがある。これらの持続性も考える必要もある。

欧米では、脱炭素も大事ながら持続性を重んじる人が多いらしい。日本も持続性に異を唱える人はいないだろう。でも問題は優先順位の決め方。これには文化的背景もありそうだ。

それがこの「裏道を行く」否!「浦道を行く」のテーマでもある。

津津浦浦・・・サンズイへんの多い四字熟語です。


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